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とし坊の部屋Part Ⅱ

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出会い

東 尚彦という作家に偶然出会いました。
立ち寄った画廊。階段を上り詰めたところにあった作品にまずガーンときました。
そして在廊しておられたその方とお話させていただき
頂いて帰って読み、あらためて感動したのがこの文章です。
わたしが悶々と思い感じていたことを明確にしてくださいました。
長いのですが、転記します。

「絵について」


 芸術はひとりの人間の生き方である。作品は、芸術家ゆえに可能な、人間として充実して生きた結果だ。各ジャンルの特殊な用具用材を選択することは作家の才能であり個別性による。しかし、どのジャンルの芸術も根本的に同じものだ。もっといえば、芸術以外の仕事や人間の営みについても通底しうる構造であり真実だと思う。その前提があるゆえに、人は芸術と感応しうるのだ。
 
 画家なら、画材を手にすることによって猛烈な生き方の出来る人間でなければ値打ちがない。売絵画家のように、図柄だけ何十、何百枚と描いても、これは芸術とは無縁だ。水を得た魚のように画家は生きる(制作する)、この時間と空間を<虚構>とよぶ。虚構ゆえに可能なこと、このトリックが真の作品を成立させ、結果、現実を活性化し、豊かな未来を提示することにつながる。もちろん作家も今日の社会的、歴史的状況内にある。しかし作家は、今日の歪められ、限定されがちな状況を、虚構の自由なる時空を借りることによって最大限に自己を生かし、現実の偏狭世界をのりこえる。だから作品は現実を凌駕し、覚醒をもたらすエネルギーを内包している筈である。またそうでなければ壁紙の図柄の模様にしかすぎない。

 大きな作品の画面がある種のエネルギーを感じさせることがある。しかし、これが芸術的エネルギーではないことが多い。物理的、肉体労働的なエネルギーなのだ。これは真にすぐれた作品がもつ深い人間の知性や感情、工夫にあふれた知恵の集約が感じさせるいわは人間世界の深みと充実の美にはならない。派手な看板のように、視覚を惹きつけ刺戟するだけのことだ。当然、これらは時間に耐える力がない。たんなるパフォーマンス、劇画、オブジェ論に失墜する。これは今日のさまざまな理由による虚構の衰弱を物語っている。また作家が時代に流され、自己を創作の中で虚構化(無化)できるという真の芸術家を失っていることを物語る。

 絵が上手とか下手とか、そんなことは二の次である。抽象とか具象とか、それもさしたる問題ではない。絵が分かる、分からぬ、これも重要なことではない。絵をみるとは、凝視し全身で感じるように対面すべきである。つまり、作品と生活することである。作品から放射される人間性に溢れたエネルギーを受けねばならないからだ。観者が抱きがちな知識や固定観念やさまざまな比較、技法への興味、これらは作品のエネルギーを疎外する。反対にいえば、知識や既成概念でみる貧しい観者に応えるだけの作品は迎合した悪しき作品といわねばならない。

 作品の奥行きが生まれるのは、作家の日常生活につきる。つまり現代に対する問題意識と、宇宙につながる根源的な実存の臍の緒がつながっていること、そしてその中を血流がかよっているかどうかだ。個人の成立は、人間存在の基本である歴史が代表する縦軸(時間性)と社会が代表する横軸(空間)のクロス点を認識することにはじまる。これは個人の意識が成立するための、いわば教養である。作家は虚構の中でテーマをいう焦点をもつことによって夢中(覚醒)になる。このとき教養は肉化され、縦軸と横軸が激烈に交差するのだ。そこでは実存が垣間みられ、宇宙と結合できる。

 人間は意識という構造をもち、いつの時代にも疎外されるべく存在する。芸術運動は疎外の壁を少しでも打破し、生命の根源に直結しようと試みることであり、精神の自由を求める行為なのだ。一方、自由を獲得した作品は、自然がそうであるように、謎めいていて、観者を解放する。俗に<生きた作品>といわれるところのすぐれた作品は、観者に作家の豊かな体験的エネルギーをあたえ続ける。生活の内に絵画を所有するとは、そういうことだ。絵画は空虚な部屋の壁を埋める装飾品でも、蓄財の具でもない。生活という人生の生の現場に参加し、豊穣な生を獲得する強い味方なのだ。どうしてこんな純にして分別を踏み越える荒事を、肩書や社会通念にとどまる似非芸術家に成し得よう。故に、芸術は作品がすべてである。


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コメントコメント


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まさに出会いですね。

本日、たまたま心斎橋の古書店にて、名前も知らなかった東尚彦氏の作品に出会い、あまりの衝撃に購入したところです。
そこで、東尚彦とは何者? と検索したところ貴ブログに行き着いたというわけです。東尚彦氏の文章を読むことができて良かった。ありがとうございます。

福島章恭 | URL | 2016/04/16 (Sat) 13:01 [編集]


そうでしたか。素晴らしい出会いをされましたね。
顧みれば去年の6月でしたか。
月日のたつのは早いですね。あの時にもらった感動を
今一度振り返ってみなければと思いました。

こちらこそ、ありがとうございます。

とし坊 | URL | 2016/04/16 (Sat) 16:20 [編集]


 
 

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